内沼幸雄「対人恐怖の人間学―恥・罪・善悪の彼岸」は、脇見恐怖症を早く取り上げた貴重な文献

昔、「対人恐怖の人間学―恥・罪・善悪の彼岸」(http://www.amazon.co.jp/dp/B000J8WWMW/)という本を読んで、脇見恐怖症の症例を生々しく書かれていて驚いたことがあります。とても古い本ですが、このような書籍に出会ったのは初めてでした。

著者は、内沼幸雄さんという精神科医で、対人恐怖症研究の第一人者の方です。

最近、ふともう一度読んでみたいと思い、古本を購入して再読ました。

この本には、はっきり「脇見恐怖」という言葉が使われており、他にも「横恐怖」「横目恐怖」といった言い方も出てきます。「横恐怖」も「横目恐怖」も、症状で苦しんだ人だけが(そう、そういうことなんだよね)と深く理解できる、リアルティのある表現です。

紹介されている症例も豊富で、脇見恐怖症の苦痛を訴える方が大勢登場します。以下で一部引用します。心にグサグサと刺さるような表現が続きます。

・症例H(男性)
”中学二年の時、何気なく女の子を見ていたら、その子にいやらしいといわれ、みんなに噂された。それ以来他人や自分の視線を恐れるようになった。(中略)今の一番の悩みは、瞳孔の大きさが拡大して、目にひどい痛みを感ずる点である。人といると相手をじっと見てしまう。その時自分の目つきが嫌らしくなり、そのために相手に嫌われる。相手が男性でもそうなるが、とくに女性がいけない。たとえば電車のなかで向かいに女性がいると、自分の視線が殺気立ち、見られた相手の顔がみるみる歪んでくる。道で女性と擦れちがう時もそうである。とくに女性の横や斜め前に行くことができない。視野が広くなっていて、視野の周辺に入る女性が気になって、そちらに視線が向いて流し目になる。目も痛くなってくる”

・症例I(女性)
”はじめ人と一対一で話している時、相手の隣りに人が居ると、その人が自分の視野に入ってきて気になった。その人のどこが気になるというわけではない。その人にみられているというわけでもない。ただ視野に入ってくる他人の全体が気になった。その人に何となく悪い気がしていた。そのうちに、視野に入ってくる人のからだの一部、たとえば手や足の動きが気になるようになった。その瞬間、どきんとするような、はっと息がつまるような、間のわるい感じに襲われる。人と話していると、相手は必ず手をもじもじと動かす。自分が意識的に注視したからというのではなく、自分の視野に入ってくると、相手がそうなってしまう。実際、相手は怪訝そうな顔をして自分の方をにらみつける。こんな風で、みんなから避けられるようになってゆき、また自分でも人から遠ざかるようになった。”

・症例K(女性)
”はじめは職場のなかだけであったが、そのうち道を歩いている時も、電車のなかでも、視線を意識するようになった。人混みのなかに入ると、かーっとなって冷や汗が出、顔がこわばって泣き出しそうな顔になる。目つきもきつくなるようでそのために人に嫌な印象を与え、人から嫌われるように思えた。奇妙なことに、人のなかに入ると自分の視野が広くなり、視野の周囲までありありと見え、人の気持も敏感に見えてしまう。患者は物が見えすぎるのは目も病気のせいではないかと思って、何度も眼科を受診したが、どこの医師も相手にしてくれなかった”

・症例O(女性)
”高校に入学してからも赤面恐怖が続いていたが、高校二年のとき、ある日ふと教室で自分の横にいる男性が目に入り、このとき変に思われはしないかと思った。それ以来、自分の目つきが変ではないかと絶えず意識するようになった。(中略)その間も視線恐怖はますます悪化してゆき、高校三年になると視野が「百八○度」も拡がってよく見えるようになってきた。そのため左右が見えないように手で隠したり、首を動かさないようにして、ひどく肩がこるようになった。横に目線が行くのが恐ろしくなり、とくに男性の性器の部分に目線が行くのが怖かった。そのうち男女の区別なく人の性器の方に目線が行くのではないかと思うようになり、電車のなかなどで目を開けていることができなくなった。”

この本の発行は1977年(昭和52年)、今から40年も前です。脇見恐怖に関して最も早く書かれた文献の1つではないかと思います。

この本に症例として登場する方たちは10代後半~20代が多いです。治療を受けてから本になるまでに何年かかかったとして計算しても、まだ存命の方が多いのではないでしょうか。今の高齢者の中にも、こういう苦悩を抱えながら生きてきた人が居るのだろうと思います。

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