仏教の開祖・釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の教えから、脇見恐怖症を考える

私は、脇見恐怖症への理解を深める上で、仏教が大きな参考になると思っています。

仏教は、「内面的な苦悩につきまとわれたとき、人はどうすればいいのか?」「どうすれば苦悩から解放され、心の平安を手に入れることができるのか?」といった、人間の心の普遍的な問題をテーマにしてきました。

こういった問題はまさに、脇見恐怖症に陥った人が直面することではないでしょうか。

脇見恐怖症を含む、神経症全般の治療として定番の「森田療法」も、その考え方や治療方法には、仏教の影響が見られます。

私も仏教については以前から興味があり、いくつか本も読んできました。特によく読んだのは、仏教学の第一人者とされる中村元や、日本の禅文化を海外に広めた鈴木大拙などの著作です。浄土真宗を開祖した親鸞の「歎異抄」を始めとして、仏教書の原典もいくつか読みました。

そうやって仏教関連の書籍を読んでいると、思わずはっとする気付きを得られることも多いですが、仏教の宗派や解釈の違いが非常に複雑なため、ディテールに入り込んでしまうときりがなくなってしまいます。

そんな中、近年ベストセラーになった、ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」が、仏教の開祖とされる釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の思想の本質をわかりやすくまとめていました。著者はイスラエルの歴史学者ですが、仏教を非常に客観的な視点で理解しようと努めたためか、意外にも本質をとてもわかりやすく、的確に説明しているように思いました。ちょっと長くなりますが以下に引用します。

“仏教の開祖・釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の教えから、脇見恐怖症を考える” の続きを読む

脇見恐怖症が発症してから完治するまでの体験

脇見恐怖症が完治するまでのことを書きたいと思います。

私は何年も脇見恐怖症の症状に悩んだ後に、また何年もかけて症状が和らぎ、少しずつ消えていきました。具体的には、小学校6年から20歳頃まで、つまり10代のほとんどを脇見恐怖症の嵐の中で過ごしました。それから10年、20代いっぱいかけて、少しずつ治っていきました。

脇見恐怖症になったきっかけは、クラスの斜め前に座っている女子から、「こっちを見てる」と言われて、自分の視線に対する意識が芽生えたことです。言われるまでは何も意識していなかったのに、陰口が偶然耳に入ったことで、本当に見てるんだろうか?自分の視線は何かおかしいところがあるのだろうか?と考え始めてしまい、そこから底なし沼はまったように症状が深まっていきました。

脇見恐怖について悩めば悩むほど、自分なりの対策を考えたり実践したりすればするほど、ますます症状は悪化していきました。

“脇見恐怖症が発症してから完治するまでの体験” の続きを読む